昭和五十六年三月三十一日 朝の御理解


御理解第八十節 「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先へ生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい」


 年寄りを大切にせよと。その大切にしなければならない道理を説かれておるわけですから、粗末にしておったわけではないでしょうけれども、とりわけ信心で大切にするということが出来るようになりますと、せねばならぬのではなくて、させてもらわずにはおれない、そういうものが生まれてくるんですね。
 例えばここで、黙って治めるということは、まあそこを一つ辛抱して神様におすがりして黙って治めて行きなさいと言う。黙って治めるということがこんなにも素晴らしい、こんなにも有難いということが分かって参りますから、もう本当にものを言わんで済むようになる。このくらい有難いことはない。
 その治まり方の素晴らしいこと。自分の心の中に頂く喜びの有難いこと。だから黙って治めねばならんというのではなくて、黙って治めずにはおれないという黙っておれれる。しかも有難く黙っておれれるということが有難いのであり、ためにはやはり心がけが必要なんです。
 先日、毎日日参をしてくる方なんですけれども。まあささやかな商売をなさっておられる女ながらも。それにまあせっかく商っておったのが返品になった。その返品になった時に、これが成り行きだと思うた時に、「ああ結構ですよ」と言うてそれを受けることになった。
 結局、成り行きを大切にせよという御教えを頂いておる。その成り行き。はあここが成り行きを大切にしなければならんところだなあ、「せっかくあなたに買うてもらったのに」と言うこともなあもいらんということ。帰ったら思いもかけない所から電話が掛かってきて、しかもそれと同じ品物が三つ商いが出来たというお届けが二三日前ございました。

 だからその、結局教えを心がけるということ。そこからいわゆるそれを行じるということ。そこから例えばそういう時に、なら商売は合楽理念を以てする時に、こういう考えにならせて頂かんならんということが体得できるというわけです。
 ここでは年寄りを大切にせねばばらんと言うて教えておられるけれども、「信心するものはよう心がけておくがよい」と仰せられておる最後に。その心がけておくという。だからこれは年寄りを大切にするということだけじゃなくて、いよいよ頂く教えを大切に、そして黙って治める修行さして頂くことから、黙っておって済むのであり、黙って治めることが一番素晴らしいのであり、有難いことにものを言わんで済むようになってくるです。こげな有難いことはないです。
 どうぞ一つ、とにかく信心さして頂いたら、もう常識も道徳も変わってこなければ嘘です。思い方が考え方が全然信心のない時と同じようなものの見方考え方がある時には、まだまだ合楽理念の実験実証が足りん時。言わば心がけが足りない時と思うて、本気で合楽理念の実験実証に心がけて行かなければならんということですね。 私今、とにかく今こうして胃が痛んでおりますが、何でもない時には、胃がどこにあるやらすら分からなかった。考えたこともなかった。胃が痛み始めて、ははあここに胃があるんだなあと、初めて胃にお礼が言えるような心が出来てきておるように思うんです。
どうぞ。